サポーツ

進学指導学習

はじめに

ただ問題を埋めているだけで、
解ろうとしていない… 自分で勉強に取り組まない。 叱らないと宿題もしない…
勉強の仕方がわからない…“成績が良くない”という生徒さんの多くは、単純に勉強の量が不足しているというだけではなく、いわゆる「やる気がない」と言われてしまう行動をしながらも、本人も「どうしていいかわからない」であったり、「わかっちゃいるけど、実行できない」という“悩み”を抱えているのではないでしょうか。

サポーツでは、受験テクニックなどといった“知識”を提供する、既存の学習指導・受験指導だけでなく、「やる気を向上させ、“勉強の仕方”を指導する」ことによって、自主的・自律的な学力の向上に取り組んでいます。

ここでは、サポーツで“やる気”をどのようにとらえ、指導現場での経験に基づき、どのように向上させようとしているのかをご説明いたします。

やる気とは何か?

“やる気”とは、国語辞典では、「すすんで物事をなしとげようとする気持ち」とあります。(大辞林)

つまり、強制されるのではなく、「とりあえずやっておこう」「できるだけやっておこう」という惰性的なものでもなく、「目標に向かって、自主的に取り組むこと。」ということです。

「目標に向かって、自主的に」ということさえ、できれば、その目標を達成できても出来なくても、「目標に向かって、自主的に取り組んだ」経験を踏み台に、次の目標(レベルアップや再チャレンジ)への“やる気”が自然と生まれてきますので、一度“やる気”になることができれば、次から次へと取り組んでいくことができるはずです。

ということは、“やる気のある人“はどんどん”やる気”が増していくという、好循環を生み、その結果として、どんどん自分の実力や身の回りの環境が向上してくことになります。

逆に自分の“やる気”ではなく、「やらされる」「せざるを得ない」という切羽詰った状況になると、一つ物事をこなして、それで「義務を果たした」と取り組みや活動を終える。そしてまた、切羽詰ってから動き始める。。という悪循環に陥るわけです。

この好循環と悪循環のによって、どんどん実力や環境に差がついていくことになります。

いわゆる「頭のいい人」「才能のある人」というのは、ほんの少しだけ生まれ持った能力が高くて、いわゆる凡人よりも早くから“やる気”の好循環に入った結果なのかもしれません。

目標とは何か?

では、“やる気の好循環”をスタートさせるためには、どうしたらいいのでしょうか?

もちろん、「目標に向かって自主的に取り組み始める」ということですが、そもそも、特にすでに、“悪循環”に陥ってしまっている人にとっては、まず“目標”を持つということ自体が難しい事なのではないでしょうか。

まず、“目標”となる事の条件を整理してみる必要があるでしょう。

1. 自分にとってメリットのあること(欲求のあること)

“目標”は、「達成することによって、自分にとってメリットのあること」でなければありません。「自分が得する。」だけでなくても、「自分がうれしい気持ちになる。」ということも含めて自分にとって”良いこと”だからこそ、それを得たい。つまり、目標を達成したい。という願望が必要です。

ここで「自分にとって」というところが重要で、例えば「テストの点が良い方がいい」ということは、誰もが共有できる大前提と思われがちですが、「学校のテストなんて関係ない。」「どうせ無理(とあきらめてしまって欲求になっていない)」というような気持ちで、本人にとってメリットのあると思えていないという場合もあるので、親や先生が思うように目標として成立しないことになるケースが生まれます。

2. 計画があること・タイムリミットがあること

「こんなことができたらいいなぁ」という願望があったとしても、「そのうち…」とか、「できれば…」という無計画、無期限の願望であれば、目標とは言えないでしょう。

タイムリミットのあるもの、もしくは、自ら期限を定めたもである必要があります。

やる気になるために必要なこと

一応“目標”として、設定しただけでは、うまく“やる気の好循環”にすることはなかなかできません。

言葉尻だけの話ですが、ちょっと想像してみてください。

「やる気のある生徒」はしやすいイメージできますが…
「やる気のある幼児」となるとちょっとイメージしにくくないですか?

もっと極端に「やる気のある乳児(赤ちゃん)」なんて、訳がわからない表現ですね。つまり、未熟なままでは、“やる気”になることはできない。“やる気”になるためには、最低限の”一定の能力”が必要ということではないでしょうか。

“やる気”になる(目標に向かって自主的に取り組む)ために必要な能力とは…

1. 持続力

「目標を立てたけど、それをすぐに忘れてしまう…」ではいけません。しかし、実際には「忘れる」という記憶力の問題ではなく、「意識」の問題として結構ありがちな話です。このような持続力が不足していては、仮に“目標”を宣言したとしても、意味がないことは明らかでしょう。

2. 論理力

目標を達成するために必要なことを事前に想定し、“現状と目標とのギャップ”を把握するためには、論理的に思考することが必要になります。「やってみなくちゃわからない」というのは、一見ポジティブなようですが、非常に安易かつ無責任な態度で、“目標を達成するために努力する”という“やる気”は生まれません。「未来を予測する」ということは、論理的思考力が必要とされるのです。

3. 決断力

「この目標は達成可能なのか?」という見込みを立てること。そして、たとえば「次のテストで80点とる」ということを“目標”として定めること。そういった、“決定する”ということ自体を自分で決断することが必要でしょう。“決断”なしにつらい努力をした(やらされた)として、目標を達成しても達成感を持つはずがありませんし、うまくいかなかった場合は、”他人のせい”にしてしまうので、本質的に”目標”や"努力”でいことでしょう。

サポーツの考える「指導」とは

学校や進学塾のような「クラス指導」では、指導者は“知識(情報)を与える(発信する)”のが主な役割です。しかも、クラス全員が対象生徒ですから、与える知識や情報とは、対象の多くに当てはまるもの。つまり一般的普遍的なものです。

それに対して、「個別指導」においての指導者に求められる”指導”とは、“その生徒個人”が対象なのですから、「一般的な情報を与える」では不十分で、「その生徒が求めている(必要としている)もの」を提供(指導)することが求められます。

野球の指導でたとえると、野球教室のような全体向けの指導ならば、“(一般的な)投球の仕方”を指導することになりますが、プロのコーチが選手を個別に指導するときは、その選手の体格や個性そして戦術に合わせた“投球フォーム”を指導するはずです。

ですから、学習指導においても、サポーツでの個別指導では、問題の解き方や受験に出るなどといった一般的な知識の指導ができない訳ではありませんが、それよりも、メンタル面も含めた“勉強の仕方”の指導が本質的でより重要であると考えています。

一般に「成績が良くない」という理由で塾を探す場合、「“やる気”がある」という状態ではない。むしろ、「やる気がない」という状態でではないしょうか。

さらに極論を言えば、“お勉強”なんて“答え”のあるものですし、難問奇問が出題されるような超難関校入試を除いて“テスト”なんて、特殊な才能がなくても解法パターンを“覚える”だけで概ね対応できるはずです。ということは、「ちゃんと覚えきるまで取り組みきる」という“やる気”を与えることが、「莫大な知識情報を提供する指導」よりも遥かによい成果をもたらします。

その“やる気”を持てるようにするためには、生徒自身が「実行可能」と思える内容かつ、その成果が出るというイメージを持てる学習計画を示すこと、それがサポーツの“勉強の仕方”の指導だと考えています。

指導・学費システム

アドバイザー

同志社大学心理学部

田中あゆみ 教授

田中あゆみ何歳になっても、何か新しいことを知ることができたり、経験したり、そしてそれを通じて少しでも自分が成長できるというのは、嬉しく、ときに感動的な気持ちになりませんか。

しかしなぜ「勉強」となると、つらく苦しいもののように思ってしまうのでしょう。

サポーツの個別指導が目指しているのは、前の自分より成長するということを喜び,それを大事に積み重ねていこうという勉強に対する姿勢を育てることかと思います。

学校で一番になれなくても、サポーツという場で,知ること、学ぶことから得られる本来の喜びが少しでも経験できるならば、それは素敵なことだと思います。

田中あゆみ教授との共同研究によって、相関が示されました。

指導現場からのコラム

「失敗グセ」 で、自ら失敗しようとしてしまう… click

「外力が働かなければ、物体は静止または等速運動を永遠に続ける」というのが、理科で習う「慣性の法則」です。簡単に言えば「物体は”そのまま”で居ようとする。」ということです。

人間の心理も不思議なもので、まるで「慣性の法則」が当てはまるかのようです。

失敗を繰り返していくうちに、まるで、失敗している自分で居続けようとするかのように!?…

成功できるはずの簡単なことに、ありえないような失敗を犯したり、なぜか取り組み続ける意欲を失ったりして、どんどん目標の難易度を下げても失敗をし続けるということがおきます。

また逆に、失敗し続けているにも関わらず、無謀な目標ばかりを設定し、まさに失敗し続けようとするという行動をすることもあります。

これらは、「成功している自分をイメージできない」という自信のなさが原因でしょう。

人間も生き残る本能として、差し迫った危機がなければ“現状維持”を求めようとします。“失敗”し続けそれが日常になってしまうと、頭では「成功したい」と考えていても、深層心理は「“失敗し続ける”という現状を維持させようとしてしまうのです。

時間と共に必ず環境は変わっていきますから、“現状維持”自体、長期的にはゆるやかな悪循環の始まりです。「変わる勇気を持つ」。“変化”への恐怖から目をそらしているということに気づき、この恐怖に立ち向かうことなしに「失敗グセ」を絶てません。

“やる気の好循環”に変えるために、本人以外の者ができることとは、“勇気”を与え、“支えてあげること”でしょう。

指導現場からのコラム

「目標がない」は不幸か幸せすぎるのか…? click

「目標がない」ということは、「欲求がない」ということ。

「欲求がない」ということは、「現状で満足」ということ。

「やる気がない人」とは、もしかすると、「食うに困らず、不満もなし」のあまりに幸せすぎる生活を送っている人なのかもしれません。

もちろん、今の環境(子供扱い?)が永遠に続くわけはなく、成長せねば「これから環境が悪化していく」ということを予測できていないのは明らかですが…。

指導現場からのコラム

義務感から生まれる“やる気”は… click

「親から医者になることを期待されているから、医者になりたい。」という目標を、決断し、論理的に計画をたて、持続して実行し、成し遂げた。という場合…。

一見、“意欲的に努力した”ように見えますが、「期待されている」というのは“受身形”ですから、「自分の“意思”で決断した」のではなく、いわば「決断せねばならなかった」という”義務感”で決心せざるを得なかったと言えます。

このような義務感から生まれた“やる気”では、目標を達成したとしても、「医者になってからどうしたい」というような考えを持てず、“やる気の好循環”にはならないはずです。

せめて「親のような医者になりたい」とか「医者としても優秀な評価をされたい」というような、ビジョンや欲が持てれば、次の目標が持てると思いますが。

指導現場からのコラム

“反省”は誰のためにするのか? click

「危機感が足りない。反省しなさい!」という“指導”はありがちですが、この“反省”とは何でしょう?「ショボンとすること?」「反省の弁を述べること?」

この“指導”は、往々にして“指導者のストレス”から出ている言葉ではないでしょうか。「指導の成果が現れていないのに、本人はケロッとしている…腹が立つ!」と…

いわゆる“反省”は、「過去の失敗を悔いて“成功するという自信”を失っていく」という心理的にマイナスに働くリスクの高い行為です。

もし「“反省”が不十分な態度」になっているならば、それは、「失敗を分析する力が足りない」などという原因がある訳ですから、指導者は“分析すること”を指導する必要がある。ということになり、「どうして失敗したのかな?」という“指導”が必要だということになります。

「反省しなさい!」などと、責任を本人に押し付けるような指導者の方こそ、まさに“反省”をする必要があるのではないでしょうか。

指導現場からのコラム

「わかった?」という愚問 click

授業中先生が、生徒に「わかった?」と尋ねるシーンはありがちですが、この「わかった?」という“質問の目的”はいったい何でしょう。

生徒が「わかった」と答えたら、次に進めるという確認ですか?

でも、説明を聞いて“わかったつもり”でも、実際には“わかっていない”というのはありがちです。ましてや、個別指導の場面で先生に「わかった?」なんて面と向かって言われたら、生徒にとっては「はい」と答えざるを得ない場面になっていることが想像されます。

生徒が理解したかどうかは、テストしてきちんと確認すべきですし、その前段階ならば、生徒の表情や態度で指導者が感じ取ることができるはずです。

ですから、「わかった?」という言葉は、接続詞として対話の流れで使う以上に“質問”として使ったとすれば、それは非常に愚かな質問ということになるでしょう。